アニメノート

アニメ大好きですので、アニメの感想などを書いてます。
これまで以上に、アニメが楽しめれば、と思っています。

「マギ シンドバッドの冒険」1&2を見て思う・・・

「マギ シンドバッドの冒険」
 1&2、見ました。アニメとしての出来は良くて、次も楽しみに見ようと思っています。でも、その内容で、少し気になるところがありました。それは、このアニメの基本思想に、戦争の後に日本に蔓延して来た、残念な主張が織り込まれていたことですね。
 シンドバッドのお父さんが、こんな意味の言葉を語っていました。
「家族のためなら戦うが、『お国のため』には戦わない」
 これは、国家に「勝っている勝っている」と騙されて、1枚の召集令状で戦地に駆り出され、軍律維持のための鉄拳制裁など非人道的な扱いを受け、戦場で満足な物資も与えられず、まともな武器さえもなく『お国のため0』と玉砕をしていった、そんな過去を持つ、過去を知る、日本人なら、戦後、誰だって考えた言葉でしょう。
 村人がシンドバッドのお父さんを「非国民、非国民」と罵ったことも、何か戦時中の日本の姿を彷彿とさせます。
 でも、待ってください。このアニメで語らている「お国のため」って何でしょう。それは、自らの野望のために国民の犠牲など何とも思わない「国王」のためでしょう。つまり、「お国のため」が、家族を含む、そこに住む人々のためではなく、「国王」個人のためであるからこそ、「家族のためなら戦うが、『お国のため』には戦わない」となるのでしょう。
 では、日本の戦前・戦中に語れた「お国のため」というのも、意味は同じなのでしょうか。日本人は国民のためではなく、「天皇」という個人の野望のために、戦地に駆り出されたのでしょうか。
 もし、そうだと思う人がいるなら、今一度、日本の歴史を勉強してみてください。日本人は、そんなに無知で単純な民族ではありません。さらに、今もなお、世界のほとんどの国が、自国の軍隊を持っています。そこの所属する世界の人々は、その国の権力者のために、無理矢理、戦わされているのでしょうか。世界の人々の語る「お国のため」とは、自国民の平和と安全のため、さらには世界の平和のため、という言葉と、そんなに逸脱するものなのでしょうか。
 終戦直後の日本人が、無謀な戦争を起こした日本と言う国家を、国民に満足な情報も与えず騙して戦争に駆り立てた日本という国家の権力者を、決して信じることができない、二度と戦争などに参加させられるか、と思ったのは、当然なことです。
 そこで日本の頭のいい人の中には、虚実を織り交ぜても構わないから、日本の戦争犯罪をことさらに煽り立てたり、国家そのものの存在を否定することによって、日本を二度と戦争をしない国ではなく、二度と戦争のできない国にしようとする人も出て来ました。
 しかし、戦後の日本の歩んだ道は、国家の否定ではなく、国家としての復興であり、国家としての高度成長であり、国家としての繁栄の道でした。この事実を見れば、明らかではないですか。国家と国民は、いわば、運命共同体ではないでしょうか。
 そこで、「マギ」の言葉に戻ります。
「家族のためなら戦うが、『お国のため』には戦わない」
 ここで問題なのは、お国=国民ではない、という点ではないでしょうか。ならば、本来、国家に騙され、国家存亡の危機まで経験した日本人が目指すべきだったのは、国家の否定ではなく、国民の願いが国家にストレートに反映されるような、風通しのいい国民国家、国民に嘘をつかない国家であったはずです。
 チュンは日本で「秘密保護法」が制定されたと聞き、愕然となりました。どうして、あの戦争を経て、本来、風通しのいい国家を目指すべき日本で「秘密保護」なのか。内容は、まったく同じものでも構わないので、日本が制定すべきは「情報公開法」ではないのか・・・と。
 結局、「お国のため」を否定しても、国家と国民を切り離すことなんてできません。それどころか、民主国家でありながら、いつまでも「お国のため」の否定など、世界の人から見れば、嘲笑の的ではないですか。かつて、騙されて世界に向かって戦争を仕掛けた日本は、また、自らの国家の管理さえできず、誰かに騙されて、無謀な道を進むつもりなのか・・・と。、
 とりあえず、最後に言っておきましょう。「お国のため」が悪いことなどと決めつける前に、まずは、その「お国」を何とかしようと考えろ!日本は将軍様の独裁国家じゃないのだから。